2002-11-02
教育の土台

社会は矛盾だらけである。「なんでやねん?」と思うことだらけ。人間
というものはその中で良くも悪くもバランスをとって生きていかざるを
得ないのが現実。

私は今日のキレやすい子供たちを見ていると、ある種の抑圧すら経験し
たことがないからと、理解している。私も、中学、高校生など多感な時
期において、校則に私も悩みみ苦しんだ。何故眉毛を剃っちゃいけない
のだ、バイク通学してはダメなのか、、、、、。少しあとの世代になる
と、尾崎豊の世代。きっと悩める世代の共感を呼んだのであろう、未だ
に彼はカリスマであり続けている。
 
いつぞや所沢で卒業式をボイコットした高校生たちがいた。生徒の人権
だといって、別の場所で実施した。何が言いたいのかというと、生徒に
よる卒業式をやりたいという気持ちを人権だ権利だといって、
後押しすることは、社会の抑圧すら経験したことのない子供たちを、悪
い意味で付け上がらせることにつながると思うのである。あの生徒たち
は、我侭を押し通しただけであり、大人は彼等を甘やかした、マスコミ
も、、、、、、、。彼等には人権という崇高なものを語る資格はない。
 
茶髪も、ピアスも確かに個性である。高校生らしい格好?なんだそ
れ?、、、、私もそう思う。しかし、説明がつかないからといって、彼
らを野放しに、やりたい放題の格好をさせて何になろう。抑圧もなく、
悩みもなく、社会に放り出されたとたん、・・・・・・キレる。

似たような大人も教育現場にいる。卒業式で「国歌斉唱・国旗掲揚に反
対します」と抗 議発言をして退席。思想・信条を問うことになる「日
の丸・君が代」 を、その判断が難しいであろう子どもたちが通う養護
学校に職員の議論を無視して強引に持ち込まれたためと主張する。この
教師達は戒告処分を受けたようで、その処分を撤回するための集会の案
内がきた。強引に持ち込まれた、とはなんとも人聞きが悪い。強制、強
引されるのは御免だというところか。しかし、彼らのお仲間の中には、
ジェンダーフリーを強制させようとしている連中もいたりして、、、。
自分達の主張は徹底的に押し通すのか。

この種の方々の共通項として、「強制は嫌だ、自分の意見は押し付けた
い」である。断っておくが、私は彼等の主張を捻じ伏せようとは思わな
い。「私はそう思う」だけのことである。
 
こういう意見の違う世の中が正常であるということ、社会は矛盾だらけ
であるということ。これを教えるのはある種大人の責任だ。茶髪を禁止
しているならば従う、国旗も国家も法律で決められたのだから、従わな
ければならないのだということを、矛盾の中で子供たちに教えることは
大人の責任、親の責任である。社会は矛盾だらけであり、そこに教師の
指導は存在しない。子供たちはその矛盾だらけの世の中を生き抜かなけ
ればならないのだ。

それを教えていくことが「教育の土台」であろう。


※そう、茶髪で思い出したこと………飛行機で熟睡。ハっと、起きると
既に到着。と、足を踏まれた。骨をも砕く激痛である。「あっ、すいま
せん」と、カン高い声で謝罪される。お気になさらずにの意を込めて振
り返りつつお辞儀をする。花田勝だった。、、、、、、、、痛いはずで
ある。因みに、茶髪だった。