2002-11-06
製造出荷額で大田区を上回る八尾市

知らなかったこととはいえ、誠に恥ずかしいやら、嬉しいやら。大阪商
工会議所で開かれた、「ビジネス・マッチング博」に出席してきたが、
選挙区である八尾市は予想以上に「凄かった」。

プラザ合意以降、輸出に頼る日本の製造業の多くは大きなダメージを受
けた。1980年半ばに所謂、「集積工業都市」で工場の減少が相次いだ。
その代表格が東京都大田区であった。モノづくり日本の技術力が心配さ
れたのであるが、そんな厳しい製造業環境にあって、八尾市の事情は違
っていた。

1980年代半ば以降も向上の減少は見られず、市外からの工場移転が続い
ていた。世界のオンリーワンに象徴される、独自技術・開発力により、
八尾製造業の足腰の強さが証明されていたということだ。結果として現
在、政令指定都市を除く、全国で5位の約4000社が集積し、製造業出荷
額は東京都大田区を上回る、1兆2000億円を誇っていたのだ。

私は大学時代、経営学部にもかかわらず「日本戦後技術史」を専攻して
いた。2年間のゼミ研究の中で、当時の日本電電公社が三鷹で実験を行
っていた「INS構想」を基本的に否定し、卒論では「この構想は、頓
挫する、コンテンツこそ命」だと締め括り、コンピューター大好き人間
から白い目で見られたものだった。彼等の意に反し、私の予想どおり、
INS構想は莫大な資金を使うだけ使い何処かへ行ってしまった。しか
し、これらはすべてアメリカによって意図的に潰された(この部分では
私の卒論には誤りがあったと思う)。しかし、大学時代学んだことは平
成7年、私が日米構造協議という平成の不平等条約の存在を知った時、
蘇るのだった。詳細は「私の政治信条」に記してある。日本は21世紀時
代のモノづくりで再興するはずだと、、、。

アメリカはモノづくりで日本に後塵を排した。結果、新しい産業として
の、「金融テクノロジーとインターネット」で、返り咲いた。日本もこ
のアメリカの最高に学ぶべきであるし、その体力くらい残っていると信
じたい。

国債など買ってい場合ではない。日本は世界に名だたるモノづくりの国
家だ。今ここに、偶然にも21世紀のモノづくりをリードできる体力を持
った八尾市で、モノづくりを中心とした明日の我国を政治の面から主張
し続けることのできる環境に心から感謝をしたい。と、共に、益々の情
報収集と分析、自論構築、ネットワーク作りに邁進する覚悟である。