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| 2003-06-27 |
| 死刑制度を肯定する |
弁護士とて宅間被告の言動には呆れているのが本音だろう。どう やって弁護するのだ。弁護の仕様がなく挙句には「彼一人の責任 ではない」というコメントが出てしまう始末。被告も人の子、親 の気持ちを思うと心が痛む。宅間被告に殺された子供たちの魂、 親の悲しみ、これもまた輪をかけて悲劇。 酒鬼薔薇事件のあと、2冊の本が出て熟読した。「淳・土師守 著」と「少年A子の子を生んで・・・少年A 父母 著」である。 宅間被告の言葉を読むにつけ思い出されたのが、「この子を生ん で・・・」。この本ではある種宅間被告との共通点が窺える。 彼らとしては「自分は被害者」なのだ。個人主義が極端に暴走す ると彼等のような人種が発生してしまう。人の迷惑顧みず、公の 心が失われ、個人ばかりを押し通される。 殺されたしまったのは子供たち。事件後マスコミに追い掛け回さ れているのは被害者家族達。一方加害者は、社会的責任が取れな い精神異常者であれば裁かれることもないし、加害者家族はマス コミの攻撃を受けることもなく、社会的に名も知れずひっそりと 暮らしている。あべこべである。 もしも我が子が殺されたら、、、。私は間違いなく復讐に燃える であろう。この気持ちは抑えられない。しかし、現実的にはそう もいかない。人が人を殺めることは理由の如何を問わず人の道に 反するならば、「法に裁いてもらう」しかない。人間たる裁判官 が裁くのではなく、法律が人を裁くのである。だから、私は死刑 制度を肯定する。そして、犯罪に少年、精神異常者も関係ない。 加害者を裁けないのならば、保護者たる人物が裁かれるべき。そ こまで考えなければやっていられない。 「人権という葵の御紋」を少々考え直すときではないか。宅間被 告への極刑に反論する方がいるならば、是非意見を伺いたい。 |