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| 2005-05-10 |
| 大量破壊兵器の戦略的曖昧性 |
私はアメリカのイラク攻撃を支持しない。この考え方に変 わりは無いが、村田晃嗣先生の講演を参考に、一寸立ち止 まって今一度考えてみた。 冷戦中日本は「危機の主正面であるヨーロッパ」の裏側 で、アメリカの傘の下に守られて来た。冷戦が終わり、 9.11以降危機、危機、戦争の定義が変わってきた。宣戦布 告など無い、国家が単位ではない、テロへと変化する。 所謂、戦争と、テロはどう違うのか。テロは「何時、何所 で、誰が、何故、どの様にして」被害者になるかが全く分 からない。首謀者は国家とは限らない。 国家でないということは、国家間の抑止力が効かないとい うことである。 イラクには大量破壊兵器を保有しているという疑惑があっ た。今は結果として、無かったと判断できるわけだが、大 量破壊兵器が「無かったこと」と、「持っているかもしれ ない」という脅威は別問題。 大量破壊兵器を「持っているかもしれない」という曖昧性 が最大の脅威なのである。フセインはこの曖昧性でアメリ カと戦っていたわけだ。(※村田先生はこれを戦略的曖昧 性と称していた) 国家が保有する「大量破壊兵器の使用」は現実性が無いと 考えてよい。(※クルド人に使用したときの国際世論を思 い出して欲しい) 何故ならば一瞬にして想像を絶する被 害者が発生し、国家として国際的な非難を浴びる事は確実 である。世界から完全に孤立する。 しかし、「持っているかもしれない」以上に、「使用する かもしれない」のが、テロ組織である。テロ組織は組織に 過ぎず、国家という単位ではない。今までの国際法の範疇 にある危機とは全く別の次元の危機であり、抑止が効かな い。 従来の国際法、国際世論を超越した危機、これがテロの本 質である。ならば、イラクが「持っているかもしれない」 大量破壊兵器が、テロ組織に「わたるかもしれない」とい うシュミレーションを考えたとき、アメリカによるイラク への先制攻撃が、必ずしもナンセンスとは言い切れないと 考えてしまうのである。 繰り返すが、私はアメリカによる先制攻撃を正当化しな い。ただ、結論に至るまでのあらゆるシュミレーションの 中に、「テロとは何か」を前提に、新たな選択肢を持つ必 要があるのではないか。それほど9.11は危機という概念を 変化させたのである。 テロは他人事ではない。9.11では日本人同胞、20数名の命 が奪われていることを忘れてはならない。 |