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| 2006-11-09 |
| 心理学の視点から見る自殺の連鎖・・・林道義先生 |
自殺の連鎖が止まらない。これは想像以上に深刻である。 林道義先生の分析は実に興味深い。 以下、先生の コラムから、 ----- いじめ自殺の心理学 いじめられた子供が自殺する事件が何件か続いた。同じ 動機や気持ちを持っている子供は大勢いるし、子供は暗示 にかかりやすいので、子供の自殺は連続して起きるもので ある。この不幸な流行を止めるために、何が必要なのか、 心理学の視点から考えてみたい。 いじめられる側の心理 報道を見るかぎり、いじめといっても、それほどひどい ものではなさそうである。肉体的に虐待されたというほど でなく、ただ「うざい」「きもい」などという言葉による いじめを受けただけらしい。もちろん、それでも受けた当 人にしてみれば、堪え難い苦痛であったのであろう。た だ、いくら辛くとも、自殺するまでには、いくつかの関門 があるはずである。たしかに、子供の場合には、生と死の 境目が大人ほどにはっきりしていない傾向はある。しか し、実際には、その境目は厳然と存在しているのであり、 そう簡単に乗り越えられるものではないのである。 人間は本能的に死を恐れるようにできているし、家族の 中で愛されているという実感があれば、めったに死を選ぶ ことはない。それを乗り越えて、はじめて実行するに至る のは、関門の強さに比べて死への動機の方が強くなってし まうからである。 今回の一連のいじめ自殺を見ていると、一見、自殺した 子供が「もろい」「精神的にひ弱」という印象を受ける。 言葉によるいじめを受けただけで自殺してしまうというの は、大人から見ると「弱々しい」と思えてしまうかもしれ ない。しかし、この問題、ただ「弱い」「もろい」という だけで片付けられないところがある。自殺に至る心理はな かなか複雑だからである。自殺する人は、ただ「弱い」と いうだけでなく、反面「強い」ところがあるものである。 一般的に言って、自殺するには相当大きな心的エネルギ ーがいる。自殺は自然の摂理に反する行為であり、人間の 体も心も「生きる」ためにできているので、それに反する 決断は自然に逆らうものであり、それゆえある意味での 「強さ」がないと自殺はできないのである。その証拠に は、一人では死ぬ勇気のない者たちは、ネットで募集しあ って、集団で自殺する。「弱い」者は、仲間がいないと一 人ではなかなか自殺もできないのである。 それでは、いじめ自殺に至る場合の、「強さ」と「弱 さ」とは何であろうか。 一般的に言って、子供は大人が思っている以上にプライ ドが高い、つまり自尊心が高いものである。とくに小学校 高学年から中学にかけて自尊心が発達する、あるいは強く なる時期である。言い換えると、自分を肯定したい気持ち が強い、周りから評価されたいという気持ちが強いとも言 える。そのような心理を持っている子供ほど、「言葉によ るいじめ」は大きなダメージを受けやすい。それは「おま えは価値がない」とか「存在する意味がない」と言われて いるに等しいからである。 そういう否定的な「言葉」に対して、対抗する手立てが ないのが普通である。自分の能力に対してかなりの自信の ある子供ならば、「いまに見ていろ」「いつか偉くなって 見返してやる」と考えることも可能だが、そこまでの自信 のない子供は、てっとりばやい復讐を考える。いじめた子 供の名前を書いた遺書を残して死ぬというのは、弱い者が てっとりばやくなしうる最も強い復讐である。もちろん復 讐という動機だけで自殺したとは言わないが、動機の中に 復讐が大きい割合を占めていたとは言えるであろう。 いじめる者の否定的な言葉に対して、自己 肯定感を保ち、自信を保持し続けることができるために は、何が必要であろうか。それは一口に言えば家族愛であ る。子供の側から言えば、親に十分に保護されているとい う感覚、親の愛を十分に受けており、親から大切に思われ ているという実感である。 親が子供を大切に思っているということが、子供の心に 十分に感じられている場合には、自分が死ねば親がどんな に悲しむか分かるはずである。親に愛されていること、大 切に思われていることを日頃十分に感じ取っている子供 は、学校でどんなに辛いことがあっても、家に帰れば保護 された空間があり、暖かい雰囲気の中で癒される時間があ る。それが強ければ、いざ死のうと思ったときに、いわゆ る「母の顔」が浮かんできて、死を思いとどまる可能性が 高い。 大切なのは、親が子供を大切に思っているかどうかよ り、親から大切に思われていると「子供が感じている」 「強さ」なのである。ところが、昔から「親の心、子知ら ず」と言うように、親が思っているほどには、親の愛情を 子供は感じていない場合が多い。夫婦間でもそうだが、分 かりきっていると思って表現しないと、じつは分かってい ないということになりかねない。愛情というものは、表現 しないと分からない場合が多い、ということを自覚するこ とから、始める必要がある。 いじめる側の心理 以上、いじめられる子供の心理に焦点を絞って考察して きたが、もちろん、いじめる子供たちの心理も考えてみる 必要がある。 第一は母性の不足である。知り合いの校長・教頭先生た ちは、口をそろえて、いじめるのは保育園出身者が圧倒的 に多いと言う。一般的にいって、母性が不足して いたり、満たされない心を持っている子供は攻撃的・暴力 的になる傾向がある。アメリカの研究でも、保育時 間が一定以上に多いと、子供が攻撃的になるという結果が 出ている。母親との接触時間が短いと、不満や不平が外に 対する攻撃となって現れるのである。よく親の都合で「密 度濃く」「集中的に」かわいがればよい、などと言うが、 子供がそれで本当に満足しているかどうか、真摯に考えて みるべきであろう。 第二は父性の不足による「男らしさ」の否定や正義感の 欠如が、子供の世界のいじめの様相にも影響を与えてい る。このごろ男女区別を否定する思想が蔓延し、「それで も男か」とか「男のくせに」とか「弱い者いじめをすると は、男の風上にも置けない」という非難ができなくなっ た。それに比例して「卑怯」という言葉も死語に なってしまい、集団で一人をいじめるのは「卑怯だ」と批 判しても、相手はどこ吹く風で、恥もなにも感じないとい う有り様になっている。「男らしさ」や「父性」が否定さ れた結果である。 第三は特殊なコンプレクスやルサンチマンの存在であ る。強い劣等感や、差別されてきた(いる)という強い恨み の感情を親が持っている場合には、その感情は容易に子供 に感染する。そういう家庭の子供は、なんらかの弱さを持 った攻撃しやすい「標的」を見つけていじめることによ り、うっぷんをはらそうとする。 教師側の問題 このように見てくると、いじめの根源には親の問題があ るとはいえ、親の母性も父性もルサンチマンも簡単に解決 できることではないので、いじめをただちになくすことは 不可能と言ってもいい。そこで大切になってくるのが、学 校・教師の介入指導である。そのためには、まずいじめの 事実をいかに早く掴むかである。 いじめをなくす対策として最も効果的なのが、学校を中 心とした「いじめ情報ネットワーク」を作ることである。 教師への信頼感が強い場合には、子供たちから「誰がいじ められている」という情報が入りやすい。いじめ対応の基 本は、いじめの事実をできるだけ早く掴むことである。 いじめが問題になると、よく学校関係者が「いじめの事 実を確認できなかった」と言うのを聞かされるが、そんな ことは絶対にありえないのである。教師と子供、教師と保 護者のあいだの信頼関係がありさえすれば、いじめの事実 はただちに教師の耳に入るはずである。 「確認できな い」という言い方は、教師が親や子供たちから信頼されて いないとか、無能であるということを白状しているような ものである。それどころか、教師の中に、いじめる 子供に共感したり、かばったりする者が潜んでいる場合が ある。 教師自身が歪んだルサンチマンを持っている場合には、 最悪のシナリオが現実のものとなる。教師はいじめの 事実を知っていても見て見ぬふりをし、むしろいじめる側 にひそかに肩入れしたりする。その結果、いじめはなかっ たことにされてしまう。それでは、いじめられる子供は救 われない。こういう犯罪的教師は即刻追放すべきである。 ----- 又、小児科医であり医学博士の田下昌明氏は「子供が親に 求めていることは、自由だの、権利だの、独立などではあ りません。無条件、無制限の愛による「強い保護」なので す。それはどんな些細なことでも常にまじめに本気で聞い てくれて、最後は必ず味方になってくれるという固い絆で す。」と著著に記していた。 はたして昨今の親達は、子供への無償の愛を注いでいるだ ろうか。強い保護で子供を守っているだろうか。以前記し たように、次世代や子供のことよりも、自分の生き様を優 先してはいないだろうか。自分の、自由や権利を優先し、 子供を後回しにしてはいないだろうか。自分の権利自由を 行使したいがために、子供にも愛や、強い保護ではなく、 権利自由を与えればそれで子供は救われるなどと問題を摩 り替えてはいないだろうか。 |