2008-03-08
政策や利権が政党間を横断している・・・健全な真性保守とは何か?

生意気にも、政党政治の限界を感ずることがある。

二大政党制が必要であると心に言いきかせてきた。健全な
二大政党制は、外交や安全保障の基本路線では、どちらも
共通した考え方を持っていなければ政権交代はできない。
二大政党制の実現を目指す中で、共有されなければならな
い部分が対立軸になっているようでは、二大政党制は永遠
に確立されない。安全保障政策が政権が変わるたびにコロ
コロ変わるような国家は考えられない。だから、私は民主
党にご縁を頂いたから議員になってはいないものの、民主
党内部でこれを叫んできた。

しかし、所謂連立騒動で、小沢代表が何故あのような行動
をとったのか。これは以前記したがあれから考えてみた。
小沢代表はもう先が見え過ぎてしまっているのではない
か。これはベテラン政治家の嗅覚なのかもしれない。なぜ
なら、魑魅魍魎としたこの周辺環境が一つ一つ理解できる
度に、先が見えてこない。むしろ、私ですら゛良からぬ方
向性゛が見えてしまったりするのだ。

民主党は纏まっていないといわれる。私から言わせれば自
民党も同じこと。それぞれに族議員、団体代表がおり、そ
れぞれが利権や主張を背負って議論している。私は族議員
がいる事は悪いとは言わない。選ばれているのだからその
存在は正しい。また、纏まらないということは正常であ
る。むしろ、全員が何の議論もなく意思統一されていると
するならば、私は気味が悪いと感ずる。さらに、私は利権
を否定しない。シガラミも否定しない。むしろ、゛利権や
しがらみのない世の中など考えられない゛のだ。それらが
癒着となって、ほどほどではなく、特定のところへ必要以
上に利益誘導されることは否定したいと思っている。議員
同士のパワーバランス崩れ、偏りが激しくなれば業界団体
と関係のない一般国民との意識にずれが生じてくる。しか
し、これは10年前の話である。

実は今日、政策や族議員の利権が゛政党間を横断してい
る゛のだ。利権を確保したい連中が利権確保、拡大の為
に゛もはや政党を問うていない゛のだ。よって、超党派と
いう単語が流行ってくることになるのだ。議員それぞれの
考え方、動きが政党という枠組みを飛び出して、政党を問
うことなく、利権が政党間を横断しており、利害が一致す
るから党派を越えての議論が多くなってしまうのである。

では民主党と自民党の何が違うのか?与党であるか野党で
あるかということだけである。しかし、この違いは大き
い。自民党が下野したとき、手段を選ばず社会党代表を総
理に仕立ててでも政権を奪還した。そこまで取り返した
い、しがみつきたい理由があるのである。要はその権力を
正しく使うかどうかである。もう1つは、お金の集め方と
使い方が違う。中央集権体制にしがみつくか、地方分権と
いう覚悟を地方に自覚させるかである。あまりこういう表
現をする人もいないと思うが、地方の本音として中央集権
体制の方がはるかに楽なのである。自立した地方自治を確
立することは、中央よりも地方において覚悟が必要なので
ある。決してキレイ事では済まされない。

政党間を政策や利権が横断するという環境下で、政治家の
軸がブレル事があってはならない。何を持って自分の信念
と成すか?私の場合、保守主義である。

さて、保守主義とは何か。
-----
保守主義とは永久なる美しき尊きものを守りながら、永久
なる美しき尊きものを創造する哲学である。先人が作って
きたこと、守ってきたことを子供達や孫たちのために守っ
ていくこと。それがわれわれ保守政治家に与えられた大き
な責任なんだ。
-----
これは、以前、産経新聞に掲載された渡部恒三衆議院議員
の言葉である。

また私は年始、某新聞に゛不易流行゛について記した。
-----
「不易流行」という松尾芭蕉が提唱した俳諧理念がありま
す。辞書を引きますと゛「不易」は永遠に変わらない、伝
統や芸術の精神。「流行」は新しみを求めて時代とともに
変化するもの。相反するようにみえる流行と不易も、とも
に風雅に根ざす根源は実は同じであるとする考え゛とあり
ます。

 古来より日本人が育んできた伝統文化・道徳心・秩序が
蔑ろにされ、旧態依然の国家としてのあり方が国民生活を
蝕み、変化・改革という名のまやかしに多くの国民は苦し
められています。変わることなく守り続けていかなければ
ならないこと、時代に即し変わらなければならないこと。
日本人はこの区別ができなくなっているのではないでしょ
うか。

 ゛政治とは生活である゛。ならばこそ、偏狭的なナショ
ナリズムを唱えるのではなく、また現実逃避のイデオロギ
ー路線に走るのでもなく、現実主義に立ち、国家が直面す
るであろう゛今、そこにある危機゛に毅然として対応でき
る、゛不易流行を実行できる健全な保守゛を確立しなけれ
ばならないと思うのです。
-----

私が貫きたい真性保守の魂である。よって、゛所謂「右
翼」゛は、断じて保守主義者とは言わない。

保守といわれる自民党にも゛改革゛という名のまやかし
で、日本を外国に売り飛ばしている輩がいる。「アホっ、
民主党にもいるだろっ」と叱責を受けるかもしれないが、
残念ながら悔しいかな民主党は所詮野党である。国を売り
飛ばすような力を持ち得ない。与党が国を売り飛ばしてい
るというのが現実の姿である。似非保守が、靖国に何度参
拝しようが、君が代を大切にしようが、彼らは断じて保守
とは言わない。経済政策で自覚を持って国を売っているの
は与党である。かといって、民主党政権に大いなる不安を
持つ保守主義者の声を私は沢山聞いているし、深刻に受け
止めている。さらに、与党の内部で゛戦っている真性保
守゛の方々もいると認識している。そして、当然、民主党
にもいるということをご理解頂きたいのだ。

一方、占領下政策による゛呪縛゛から逃れられずに、縛ら
れたまま、現実や事実を見つめられない方々もいる。私に
とって彼等は敵ではなく、むしろ被害者なのではないかと
思う。対立議論を挑んで相手を木っ端微塵にしてしまう自
信はある。しかし、論破することで和解は生まれないのが
人間である。論破することより゛呪縛を解く゛ことが出来
ないものかと考える。真性保守にはそれ位の度量が必要で
はないか。彼等もまた国民である。一方的に排除するのは
簡単だが、我々政治家は国民をリストラ出来ない。

残念ながら、私の行動も部分的には、政党という枠を越え
てしまっている。また、この傾向は私だけではない筈であ
る。ただ、民主党を離党せよとか、保守新党に合流せよと
か、良かれと思って激励を頂いても私にはピンとこないの
だ。まず、その受け皿がない。受け皿があればという話
も、今の私の場合、゛バッチをつけてから゛と謙虚に考え
ていこうと思う。選ばれて初めて考える資格があるという
ものである。