「私が政治家を目指すことになった理由(わけ)」
 
-大人こそが国家を守らずにどうするのだ-
「長尾さんは国政に出るべきですよ」 

キョトンとした私の顔を見つめながら永田町の議員会館で真剣に私に話をする男、阿久津幸彦衆議院議員。翌年に迫った東京都議選の党支部公認候補選定が難航する中で、自分が出てみようと思い意を決したが、「国政でやるべき」との土俵違いの話の流れに、私はかなり戸惑っていた。2000年10月11日のことだった。その後公認獲得に向け動きが始まった。

1999年10月27日、私は通勤途中の駅前で一枚のビラを手にした。「第一回タウンミーティング開催、元石原慎太郎第一秘書・あくつ幸彦」 (小泉より数年前から彼はタウンミーティングを行っていたのだ) とある。そう言えば浪人中の政治家志望と全く接点がなかったなぁと気づき、開催場所も自宅から歩いて一分なので参加してみることにした。28日会場に行くと人はまばら。ここで本当に行うのかと疑われるほど、受付には誰もいない。半分キレそうになる気持ちを押さえ待っていると係りの者 (後の公設第一秘書)がやってきて、受付を済まし入場する。3人くらい集まっている。

私は「財政投融資と郵貯・厚生年金の問題点」について簡単な持論を展開し、彼に意見を求めた。私はどうせ政治家も政治家の卵もマスコミと同じで、本当に言いたいこと、本音、現実の話など喋るはずはないと思っていた。だが、議論の中で私が特殊法人の天下り問題に触れたところで、「この特殊法人の問題、大蔵省資金運用部の問題に政治家が触れるということはタブーではありました。でも、今の日本はそんなことを言っていられる現状にはないのです。何時でも崩壊してしまう危険性をはらんでいるし、我々の世代でこれを軌道修正しなければ、この国はダメになってしまう。過去にも特殊法人の問題を取り上げ、家族や後援会、議員宿舎へも酷い嫌がらせを受けた議員がいたようですが、だからといって黙っているわけにはいかないんですよ。」このやり取りは、 1999年10月のことである。今でこそ特殊法人の何たるかを気の利いた国民は知っているが、当時は資金運用部の存在すらマスコミは取り上げていなかった時代である。彼の骨の太さと、誠実な姿勢は多少のショックではあったが、「なるほど、こういう本音が言えて、骨のある人もいるのか」と感心した程度。継続して参加しHPの情報収集に役立てようと思うくらいであった。

地元にポスターが貼られているものの、まだまだ知名度は低い。故に、第2回タウンミーティングも5人ほど。回を重ねてもなかなか増えないどころか、某所においては遂に、2人という壮絶な現場に立ち会ってしまった。しかし、彼の姿勢は変わらなかった。相手が何人であろうが真剣に切々と語る。元石原第一秘書だから泥臭いんだろうなぁと先入観をもつも、次第にその背景から石原の影が消え、彼自身のパーソナリティーを理解するようになる。後に聞いたことだが、彼は3年間の間に実に5万件もの戸別訪問をこなしていた。まさに、ドブ板中のドブ板、草の根の真髄である。そして、その地道な活動が実り2000年6月の衆議院議員選挙で10万票以上の得票で、見事初当選する。

当選前と当選後とでは人の流れがかくも変わるものかと驚くばかりであった。当選祝賀パーティーでは全く話をできなかったが、「長尾さん、こういうものですよね、人というのは。最近誘惑も多くて自分を律するのが大変ですよ。でも、私の原点は草の根ですから、長尾さんと同じですよ。」と耳打ちした。私は当選後の彼をじっくりと見ていくことにした。

 衆議院議員になっても彼の周辺は彼を先生と呼ばない。タウンミーティングは今でも続いており、当然人数は格段に多い。あくつ氏とはいろいろな議論をした。しかし、外国人参政権の問題、石原三国人発言問題 (以外にもべきではなかった論者)では私の意見と彼の意見は真っ向から対立した。そう、彼は議論で「共感できる人」であり「対立できる人」なのである。これは私にとって純粋に感動であった。

気がつけば東京都議選の選挙応援をやっていた。特に私世代の人間は一番政治に関心が低く、同時に社会人として非常に忙しいので人出が不足する年齢層。だが、学生主力の選挙事務所に社会人はピリッとさせる意味で必要な存在であったので、朝6時前に起きて、駅でビラ配りをしてから出勤していた。土日は張りつきで事務所に入り、そして我々が選出した候補は見事初当選した。家内が2人目の子供を出産間近で体調が悪く、事務所で当選の瞬間には立ち会えなかったが、テレビで当選を知り胸をなでおろした。「学生達と大騒ぎしたかったなぁ」と心で呟くと、あくつ議員の奥様から電話が入った。騒ぎの輪に私がいなかったので、電話をくれたようだ。「後ろの騒ぎを聞いてくださいよ」、、、、。学生達の歓声に感動した。大人がまだまだ頑張らなければならない。今の若者、打てば響く奴等はたくさんいるのだ。 

我々大人達がしっかりしなければならない。大人こそが国家を守らずどうするのだと心で呟く。

その頃水面下では私の「落下傘計画」の準備が始められていた。
 
 
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