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| 「私が政治家を目指すことになった理由(わけ)」 |
| -橋本発言- |
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1986年4月私は大手生命保険会社に入社した。普通に入社時研修を受け、普通に社会人としてズルくなり、普通に出世願望もあった。 実は私には離婚暦がある。1995年営業所長としての最高栄誉である優秀営業所特別社長賞金賞をいただいたが、その2年ほど前から家庭は崩壊していた。そのお陰もあって仕事に没頭できたとは、なんとも皮肉。子供がいなかったためか、離婚は慰謝料もなくスムーズだった。届出後、前妻にはまだ現地で仕事が残っており一ヶ月は別居生活。3月31日、久しぶりに自宅へ帰る。内カギを閉める音がやたらと響き渡る。それもそのはず、家財道具の一式を全て持っていって良いと指示したとおり、玄関の電球、風呂場の石鹸に至るまで、あらゆる物がそこには存在しなかった。「そりぁー響くはずだっ」と、一人で笑うしかない。そういえば、車もないなぁ。閑散とした夕日のひかりに浮かび上がる我が家の変わり果てた風景に離婚を実感したものだった。 そこに一本の電話が入る。当時の上司だった。「あぁ、俺だぁ、おまえどうせ暇なんだからチョット宇都宮まで来いやっ (ブツッ) 」、「あのっ、、、」と言う間もなく電話は切れるのは、いつものことだった。待ち合わせ場所は宇都宮の山の手にある高級焼肉店。おやっ、ご夫人連れか。上司の奥様だった。この上司の元で指導を受け仕事をさせていただいたお陰で最高の栄誉に恵まれた。逆に私がご馳走してご接待すべきはずなのに、ご夫婦の暖かい雰囲気に包まれ、何を話をするともなく、さっき経験したガラーンとした部屋の情景描写などを笑い話にしつつ、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。 と、ふと我に返る。「しまったっ、今日は断るべきだったっ!!!!!」なぜなら今日3月31日とは上司の職定年の日だったのである。迂闊だった。上司が奥様に一番感謝しなければならないこの日に、離婚したてのガキ相手に励ましの会をしている場合ではないはずなのだ。その意を告げると「お前みたいな馬鹿野郎と会社最後の日を過ごすのも良いと思ってなっ。まぁ、俺は去るけど後はしっかりとやってくれっ」。涙が止まらなくて、有難くて、言葉が出なかった。その上司も、もう会社にはいない。 あとから考えるとこの前後が私のサラリーマンとしての「精神的ピーク」だったように思う。その後、 1ヶ月もせず父が逝去。父は「死」というものを自らの体で教えてくれた。あの厳しかった父が、あの毅然とした父が、穏やかに、ちょっとの体温だけを残し眠っていた。父に向かっていろいろと話をした。冷たかった。斎場へ出発の時、既に体中には死斑が出ており、硬直し、完全に固まっていた。人間としての温もりもなく、もはや別の物体。そう、所詮人間の肉体とは「魂の入れ物」なのである。父の死は私にそれを教えてくれた。そして、人間は必ず死ぬということを教えてくれた。そう、私もあなたもいつかは確実に死ぬのである。人の命には限りがあるのである。そして、その死期すら自分で決めることは出来ないことを認識した。 母親が寝たきりとなり、さすがの私も「離婚・父の死・母の介護」を2ヶ月以内に経験し、将来への不安を隠しきれないでいた。嫌がおうにも、死生観を考えるようになる。そして、日産生命が破綻。当時生命保険協会長が我が社の社長であり、あの有名な「どうしようもない」会見をやってしまった。山一證券、三洋証券、拓銀、日産の破綻で一気に金融機関へのマスコミの集中攻撃が始まる。自分の会社の将来不安をかき消すためか、様々な本を読み漁り、人生を如何に生きるべきをかを模索した。会社以外にもネットワークを広げるべく、様々な会合に出席し、そして、前出の福島県郡山市の運命の講演会に出席することになる。 日米構造協議が私を覚醒させてしまったのだ。 今まで自分が勤務する会社は自分の生活の全てを担う魂もそこに宿すべき存在だった。しかし、封印された政治への興味は私の価値観を180度変えてしまった。「会社には忠誠は誓うが魂は売らない。」社内の様々な事象、現象を、ことあるごとに小さな国家として照らし合わせて考える癖がついてしまった。どんな人が出世するのか。トップが変わると人の流れはどう変化するか。肩書きに擦り寄る人間は誰か。自分だけが良ければ良いという人間はどの人か、その末路は。部下を利用しない仕事とは。会社は本当に儲かっているのか。それぞれに私としてそれなりの理解をすることはできたが、残念ながら「既に尊敬できる上司がいない」ということだけはハッキリしてしまった。 究極のところ我が社は国益に貢献しているか。大企業たるもの国家の礎であることは間違いない。この国は何処へ行こうとしているのかを映し出す格好の窓口となった。そして、橋本発言に巡り合う。 よほどアメリカのやり方に我慢ならなかったのだろう。「米国債を売りたくなる衝動に駆られる」と、コロンビア大学で橋本総理が演説したことがアメリカの逆鱗に触れた。米国債云々を言及することは日本の政治家としてタブーであった。その後、自民党は総選挙で惨敗、橋本はその責任を取らされることになる。日本の政治家とはかくも弱々しいものかと痛感したものであった。全てとは言わないがアメリカの戦略が背後にあることは確実で、橋本総理はアメリカに消されたのである。で、その米国債を買い支えているのは何処の誰か?日本の機関投資家である。アメリカのイヌとなり尻尾をフリフリ、ご機嫌を伺うために紙切れ同然の米国債を買って、ドル中心の世界経済に荷担する。これ即ち、売国奴という。「我が社の金は国益に則しているのだろうか?」私の精神的なサラリーマン人生はこの時点で終わった。 もはや、会社は、私が生きる死ぬの深みにおいて「働く」とはどういうことかを真剣に考える対象ではなくなっていた。まぁ、40歳前に課長になったし、私は生活収入を得るための対象としてのみサラリーマン人生を考えるようになっており、自分の命の燃やし方、生き様を追求したとき、それは会社の延長線上には確実に存在しなかった。 |
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